Photo 今 幸子
880と思われる山を望む 
音更川上流
音更川のプールになっていたところ辺り
遠足に行った880の山、そしてプールを作った音更川が一番の
思い出の場所とのこと。
今では880には遠足のときのように歩いていけなくなったそうです。
またこの880という名は山の高さで、正式な名前ではないのですが
山でもないそうです。

音更川もその頃の様子とは随分変わり、多分この辺ではということで
写してきて下さいました。
写真を撮りに奔走してくださった役場の今様に感謝します。
『私の思い出絵葉書』
こうして新任の螺良先生が誕生しました。
2年3組の佐々木とみ子先生が病気で長期休暇を取られたのを引き継いで担任なりました。
23歳の若い独身の元気な先生は教員住宅に落ち着きましたがその住宅には独身の先生、
稲葉先生、板垣先生らがいらした。
住宅には休日となると教え子がいつもいるありさま、給料日が近くなると米びつが空になって
いたようです。
カタハラ商店ではいつも付けで買い物をさせてもらい、助かっていたとのことですが質や通い
もしたそうです。

十勝には水遊びの出来るプールが無く、何とかして皆に水に慣れて欲しいと尽力をされた。
鈴木文義さんの近くの音更川を堰き止めてプールを作り、子供たちが水に触れるきっかけと
なったようだ回想されています。
東京の浅草の観音さんである日ばったりと十勝花子さんに会われたときの花子さんの「天然
プールが水に慣れるきっかけとなった」と言ってくれたことが忘れられない。

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思い出話は山ほどあります。私も螺良先生に教わった一人です。
その頃、上士幌にはないイガの付いた栗、たけのこを実家から取り寄せこの手で触り、竹馬も
本物を作って乗れるようにしてくださいました。
短い期間の教員生活でしたがその間の2年8ヶ月、私たちのクラス担任として色々な経験を
させてくださいました。
そして今もなお、「次郎会」と名づけて集まる仲の良いクラスです。  斉藤聖子
昭和7年5月10日(71歳) 宇都宮で生まれる

上士幌へはS30.8.2、上士幌小学校の教員として
赴任し、S35.3末大樹・晩成小学校に転勤。
その後、教員生活にピリオドを打ち東京に戻り、会社
勤めをする。

初めて上士幌に着いたときの思い出は帯広発4時の
汽車に乗り2時間かかって駅に着くと和田先生、杉崎
先生、武田先生が迎えにいらしていた。
学校までは徒歩、映画館などある道はまるで活劇の
西部に出てくるような街並みが忘れられない。
そして学校までの距離が非常に長く感じられた。
つぶら   じろう
螺良 次郎